古都フエの歴史

ベトナム最後の王朝と呼ばれている中部北部フエは、1802年から1945年まで阮朝(グエン王朝)が13代にわたって政権を築きあげてきました。

フエののどかな町並み、穏やかな人々、そして世界遺産にも登録された阮朝王宮や数々の墳墓、寺などを見ていると、今でも古き都というイメージが想起されます。

フエの歴史

いまのベトナムは北部ハノイに首都を置く南北に長い国土を持つ国ですが、実は一昔前は北部、中部、南部とそれぞれ独自の政権がありました。

18世紀まで中部はチャンパ王国と呼ばれる現存している少数民族のチャム族の祖先が政権を担っていました。

しかし、チャンパ王国が勢力を中南部に南下させると同時に、中部は阮(グエン)朝が政権の座につきました。

阮朝は日本で言う徳川幕府でしょうか。

13代まで長きに渡って続いたのですが、フランスの統治下からクーデターにより開放を求め、さらに日中戦争のさなか、日本がフランスに敗北したことをうけて、阮朝政権は事実上の崩落となりました。

阮朝政権の特色

阮朝は143年という長い年月を支配していました。

道中は決して平和のものではなく、中華秩序を受けたり、フランス軍が攻めてきたことにより、フランス様式を模範したり、皇帝が毒殺されたりと、その歴史は決して華やかなものではありませんでした。

日本では徳川家康の時代に鎖国を行っていましたが、阮朝は進んで外国の文化を取り入れているというのが特徴です。

現存している阮朝王宮は中国を模範としていますが、歴代皇帝が築いた寺院や廟の中には西洋様式が見られるものもあるのはこのためです。

ベトナム戦争とその後

中部フエはベトナム戦争の激戦区となりました。
そこで最も被害を被ったのは阮朝王宮です。どんな王宮なのだろうかと期待していくと、もしかしたら残念がってしまうかもしれません。

王宮敷地内中央部は現在では更地となってしまい、王宮の面影は残っていません。
世界遺産に登録されたことをうけ、現在は序々に復元作業を行っていますが、サグダラ・ファミリアのように完成の目処は立っていません。

現在(2013年)は外国人観光客の主要観光地の1つとして人気が高く、歴代阮朝が残した遺産を見るために、毎年何十万人という旅行客が訪れます。
フエの建築物を見学する前に、建築の際の阮朝皇帝がどんな思想を持っていたのかを調べておくと、納得できる部分があるかと思います。

歴史というのは決して点で繋がっているわけではなく、線で繋がっています。

いままで中国建築だったのが突如フランス建築になったには、その歴史的背景が必ず存在します。
それを事前に調べておくと、ただ「凄かった」、「綺麗だった」では終わらずに考えさせられるものも出てくるのかと思います。

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